メイジーの瞳

2014.9.2[TUE] Blu-ray&DVD 発売 詳細はこちら
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INTRODUCTION

イントロダクション

6歳のピュアな心を通して気づかされる、
私たち大人のおかしくも切ない未熟さー。
『キッズ・オールライト』で世界中から絶賛された製作スタッフが、
今を生きる‘新しい家族’を描く感動の物語。

女性同士のカップルと二人の子どもという新しい家族の形を描き、ゴールデン・グローブ賞作品賞を獲得、アカデミー賞4部門にノミネートされた『キッズ・オールライト』。その製作スタッフが、現代ならではの家族の真実に踏み込むために、離婚した両親に振り回されるメイジーの目線から全てを描くという、かつてないアプローチに挑んだ。子どもの心を通して、私たちは大人のおかしくも切ない未熟さに気づかされる。メイジーに扮するのは、オナタ・アブリール。滅多に涙を見せない健気な少女を、天性の愛らしさで演じた。彼女のガーリーな衣装を担当したのは、マーク・ジェイコブズに師事し、ソフィア・コッポラ監督作品も手掛けるステイシー・バタット。メイジーの母には、アカデミー賞4度のノミネートを誇るジュリアン・ムーア。彼女の恋人には、全米で「トゥルーブラッド」で大ブレイク、今大注目のアレキサンダー・スカルスガルド。子どもの瞳で世界を見れば、家族とは、愛とは何かが、とてもシンプルにわかる──そんな素敵な体験をくれる感動作が誕生した。

STORY

ストーリー

6歳のメイジーの瞳に映る、身勝手な大人の世界。
自分の居場所を求めて歩き続けたメイジーが最後に選んだ答えとはー?

離婚した両親の家を10日ごとに行き来することになったNYに住む6歳のメイジー(オナタ・アブリール)。ベビーシッターだったマーゴ(ジョアンナ・バンダーハム)が、父の新居にいることに戸惑うが、元々仲良しだった彼女にすぐに打ち解ける。母が再婚した心優しいリンカーン(アレキサンダー・スカルスガルド)も、メイジーの大切な友だちになった。
自分のことに忙しい両親は、次第にそれぞれのパートナーにメイジーの世話を押し付け、彼らの気まぐれに我慢の限界を超えたマーゴとリンカーンは家を出て行く。
母はツアーに向かい、メイジーは独り夜の街に置き去りにされてしまうのだが──。

THEATER

劇場情報

『メイジーの瞳』前売り券 絶賛発売中!
地域 劇場 公開 ムビチケ 前売券
北海道 シアターキノ 2014/03
東京 TOHOシネマズシャンテ 2014/1/31
東京 シネマライズ 2014/1/31
神奈川 TOHOシネマズららぽーと横浜 2014/1/31
神奈川 TOHOシネマズ川崎 2014/1/31
愛知 伏見ミリオン座 2014/1/31
大阪 大阪ステーションシティシネマ 2014/1/31
京都 TOHOシネマズ二条 2014/1/31
兵庫 OSシネマズミント神戸 2014/1/31
兵庫 TOHOシネマズ西宮OS 2014/1/31
岡山 シネマ・クレール 2014/3
広島 広島サロンシネマ 2014/4
福岡 TOHOシネマズ天神 2014/1/31

CAST&STAFF

キャスト&スタッフ

CAST

  • パパ
  • ママ
  • メイジー
  • リンカーン
  • マーゴ

STAFF

  • 監督 スコット・マクギー&デヴィッド・シーゲル
  • 脚本 ナンシー・ドイン&キャロル・カーライト
  • 製作 ダニエラ・タップリン・ランドバーグ
  • 製作 リーヴァ・マーカー
  • 撮影監督 ジャイルズ・ ナットジェンズ
  • プロダクションデザイン ケリー・マクギー
  • 衣装デザイン ステイシー・バタット
  • 原作 ヘンリー・ジェイムズ

COMMENT

コメント

愛を探し求め続ける、孤独な大人たちへ贈るー感動の物語

加藤登紀子(歌手)

大人って本当に欲張りで不器用で、自分勝手な生き物だね。でもメイジーが本当の愛を教えてくれる。もっと素敵な愛があるよ、って。

俵万智(歌人)

大人に振り回される子どもの話、ではない。子どもに振り回されてはじめて、大人は自分自身や愛というものに気づかされるのだ。

藤本美貴(タレント)

メイジ―のお母さんと同じく仕事と子育てを両立している親として、子供といる時間の大切さを改めて感じさせられました。身勝手な大人に振り回されても、どこまでも優しいメイジ―には幸せになってほしい。

MINMI(シンガーソングライター)

純粋で真っすぐな瞳は、どうしてこんなにも真理を見透かすのだろう?破天荒な愛、臆病な愛、我が侭な愛。大人達のエゴイズムと向き合うメイジーの瞳には愛が溢れている。

豊田エリー(タレント)

その瞳は理不尽をまっすぐに受け止める。それでも花は綺麗で、浜辺は楽しくて。小さな、だけど大切な幸せをメイジーが教えてくれた。

YO-KING(ミュージシャン)

6歳のメイジーが一番大人、という厳しい状況の中、映像と洋服がとてもステキでした。

岩井志麻子(作家)

大人たちの瞳の方が幼くて不安げで、見ていて可哀想になる。そして子どもの瞳がいつも強くて鋭いことに、たじろいだ。

シーナ(シーナ&ロケッツ)

幸福の居場所。ママの愛だけでもだめ。パパの愛だけでもだめ。二人の愛があってこそ生まれるのがハッピーハウス。みんなに優しいメイジーに涙が出た。強くてかわいいメイジーがとても愛おしいです。これから結婚、赤ちゃんを産む方はぜひ見てほしい。

内田春菊(漫画家)

愛ゆえに親を受け入れ批判しない子という主人公にはこれほどに感情移入出来るものだった!

カヒミ・カリィ(ミュージシャン)

ダメな母親を演じるジュリアン・ムーアの感情の描き方が最高に素晴らしく、何度も胸が締め付けられ、たまらない。

広田レオナ(女優)

メイジーから見た大人達というよりはまだ傷つく事すらしらないメイジーの目線に大人達が降りてきて真摯に向き合ってる。ひたすら優しく丁寧に…そんな印象だった。個人的にはメイジーの衣装とリンカーンの色気にやられたw

秋山道男(プロデューサー&クリエイティブディレクター)

つながれた手に伝わる「愛されている」という温感。温い、ということは、生きている、ということだ。不確実な世を、温く生きよ、と少女の瞳。

山口もえ(タレント)

6歳のメイジーのせつなすぎる瞳が忘れられません・・・最後メイジーの屈託のない笑い声が聞けたとき、溢れんばかりの涙が落ちました。

順不同・敬称略

REVIEW

レビュー

映画評論サイトRottenTomatoesでも88%高評価!(12/6現在)

スコット・マクギーとデヴィッド・シーゲル監督はヘンリー・ジェイムズの素晴らしい小説に全く怖じ気づかず、新たな傑作を作り上げた。
─ THE ARTS FUSE

タイトルにもなっている勇気とカリスマ性のある魅力的な主人公、ニューヨーカーのメイジー。都会で生きていく一流の術を持った6歳の少女に、我々はとりこになる。
─ WASHINGTON POST

普遍的なテーマを描く本作は、シンプルに見えるが、誰しもの心を動かすだろう。
─ SAN JOSE MERCURY NEWS

全ての親、その予備軍は是非見て欲しい。
─ HUFFPOST ENTERTAINMENT

家族を描いた映画では『キッズ・オールライト』以来、最も刺激的な感動作!
─ TIME

崩壊した家族を希望ある未来に導く、『クレイマー、クレイマー』以来の傑作!
─  OBSERVER

スカルスガルドとヴァンダーハムがキャリアの中でベストな演技を見せている。
そして、ジュリアン・ムーアはいつもながら最高だ。
─ THE IRISH TIMES

完成度の高い魅力あふれる作品。
─ THE TELEGRAPH

COLUMN

コラム

「メイジーの瞳」 内田也哉子(文筆業・sighboat)

のどの奥に大きなつかえがある。そのつかえが何なのか、見当がつかない。メイジーの瞳に映った大人の醜い言動のせいか、あるいは、その大人たちのどうにも折り合いのつかない感情と日々のせいなのか、、、。ただひとつ分かることは、潜在的に私は、メイジーであり、その母であり、父である、ということ。そして、親の子であった自分を思い出し、子の親となった自分を思い出した。この三者三様のやるせなさは、人の子として生を受けた者なら、きっと誰しも味わったことのあるニガミのようなもの。私ののどのつかえはそんな味の塊かもしれない。

男と女が出会い、恋に落ちる。結婚という約束をしたかしないかは置いといても、愛し合い、やがて女が身籠もるとする。「こどもを作ろう!」と計画したにせよ、予想外に芽生えた命にせよ、こどもという「ふたり以外」の人格が新たに生まれてくるのだ。絶妙なバランスの上に成り立つ人間関係が、一対一でもぐらつきやすいところへ、言葉も通じない、理屈より生理を常に優先させる赤ん坊が参入するとなれば、波風がたたないわけがない。あるいは、その予想外の波風によってこそ成立する関係性もあるかもしれない。なにせ、パズルをはめてみないことには何がしっくりくるか分かり得ないのが、人間の営みの面白さでもあるから。また、はまることが心地よいのか、見つからないカケラを探し続けることに喜びを感じるのか、あるいは、はまりそうで、はまりきらないけど、いつかはまるかも、と自身を説得するか、、、。何をぶつぶつ言いたいかというと、人間関係、つまり家族関係には、正解がないという、至極当たり前のこと。けれども、私たちは度々このことを忘れ、出口のないラビリンスに迷い込む。

その意味で、メイジーの目の当たりにすることは、私たちから遠く掛け離れたことじゃない。状況の違いや温度差はあれど、メイジーのように、こどもは何度も大人に失望させられ、文句も言わずに瞳の奥で真実を飲み込む。メイジーの母親は、自分ひとりも扱いこなせず、周囲を振り回すうちに自分まで目眩がしてしまう。父親は、仕事という大義名分の元に、ありとあらゆるドタキャンをし、稼ぎを引き換えに許しを乞う。でも、唯一救いがあるとするなら、そこには儚くとも、揺るぎない何かが存在するということ。劇中、何度も、私たちを暗示にかけるかの如く、母は子を、父は子を抱きしめ「愛してる」を繰り返す。傍から見れば、そんな言葉や抱擁は、何の意味も栄養もないかもしれない。それより、もっと長い時間、一緒に遊んで、穏やかな暮らしがあるほうがよほど良い、と。けれども、どうしようもない両親は、メイジーを抱きしめる時、一瞬だけ無になる。「愛してる」というほんの一瞬だけ素になる。たとえ片手に、携帯やタバコが握られようと、その身の奥に潜む魂の声はほんものだ。

そして、それを見て思う。メイジーは愛を知っている。どんな理不尽があろうと、どんなたらい回しにされようと、人生に不器用な自分の親は、自分を愛してるということを。愛に条件をつけない少女の強さは、どんな泣く子も黙らせる。

勿論、親はこどもを育てる義務がある。ところが、どうもメイジー自身が、その正論を訴えるような柔じゃない節がある。望みはあるけれど、親を自分の一部と見なさない。長年の親の腑甲斐なさによる諦め、というより、どこか親を個として見つめるような潔さを感じてしまうのだ。物語の終盤、メイジーは血の繋がりのない他人であるマルゴとリンカンと過ごすことを選ぶ。本気か怪しい父がいつか口走った船に乗ろうという話が、メイジーの中でいつしかむくむくと育ち、このささやかな夢が果たされる時、彼女は独りの小さな大人になる。

不思議なことにこの映画は、これほどずっしりとした普遍を扱いながらも、観る者を耐えられない苦しみで塞がないのだ。親失格のメイジーの親でさえ、その人なりの存在価値と魅力がある。心の機微を丁寧に追いつつも、容易に善悪の判断を下さないところに、一筋縄ではいかない人生を映画に封じ込めた作り手の品格を垣間見る。

あと、どうして破天荒な親ほど、我が子に規格外のプレゼントをしたがるのだろう!真夜中にデカいツアーバスで乗り付けたロック母がメイジーに贈った、メイジーよりでっかい馬のぬいぐるみとエレキギターは、幼い頃の私もどこか身に覚えのある懐かしい匂いがした。一度も一緒に暮らしたことのない父が、勝手気ままに現れた時の滑稽で不器用な匂い、そのものだった。